1:
世界2位の快挙から20年......今だから語る「黄金世代」の実態第14回:稲本潤一(2)

1999年ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会の決勝は、スペインと対戦することになった。

U-20日本代表はチームに勢いがあり、選手もここまでの試合を勝ち抜いてきたことで、自信を持っていた。
唯一の不安要素は、キャプテンの小野伸二が準決勝のウルグアイ戦でイエローカードをもらい、累積警告によって出場停止になったことだった。

「伸二がいないのは、めっちゃデカかった」

稲本潤一は、厳しい表情でそう言った。

このチームは"小野のチーム"と言っても過言ではなかった。

小野は前年、18歳で日本代表に選出され、1998年フランスW杯にも出場した。技術の高さはピカイチで、人間性も優れ、リーダーシップもあった。
U-20日本代表は血気盛んな個性的な選手ばかりだったが、小野がいたからこそ、ひとつにまとまっていた。

稲本も、中学校時代から世代別代表で小野と一緒にプレーし、その存在の大きさを理解していた。

「(小野は)もう中学校の時から違っていた。ヤット(遠藤保仁)とか(中村)憲剛や(中村)俊輔さんらもすごいけど、彼らは努力してすごい選手になった。
もちろん、伸二も努力しているけど、最初に持っているセンスみたいなものがデカすぎたんよ。

その持っているモノは(努力して)作ろうと思っても作れるもんじゃないし、教えてもらっても得られるもんじゃない。
伸二って、メッシをどうやって作るのか、というレベルと同じ。そのくらいスーパーなんです」

稲本は、北海道コンサドーレ札幌時代にも一緒にプレーしたが、その際、あらためて小野のすごさを感じることがあったという。

「伸二に追いつこうと思っても、無理なんでね。まあ、1999年に(シドニー五輪アジア1次予選で)ケガをしてからは、自分の考えと体の動きがついていっていない感じやったし、
そこからケガも増えたけど、コンサ(札幌)で一緒にやって思ったことは、『伸二はやっぱり一番うまい』。
両足でスルーパスを出せる選手って、なかなかいないですよ。
今のサッカーでは、伸二のようなタイプを作り出すのは無理やと思います」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190806-00867480-sportiva-socc
8/6(火) 6:17配信

2:
"稀代の天才"のすごさを冷静に語る稲本だが、小野とは違った意味で衝撃を受けたのは、中田英寿だったという。

「ヒデさん(中田)は、シドニー五輪のアジア最終予選から(チームに)合流したんやけど、マジで存在感がすごかった。
遠巻きで見ているだけで、話とかようせんかったもん。

当時、俺らの世代は、上の世代の選手が(同じチームに)来ても、ポジション争いで負ける気がまったくせんかった。
でも、ヒデさんだけは別格。ヒデさんは、伸二とは違う種類のすごさを持っている選手やった」

2000-01シーズン、中田は当時所属のローマ(イタリア)でスクデットを獲得するが、1998年にペルージャ(イタリア)に移籍してからの活躍は凄まじかった。
日本人がイタリアに行くと、あちらこちらで「ナカータ!」と呼ばれるほどの人気と知名度を誇っていた。

そんな選手が、世代別の代表に入ってきたのだ。
今で言うと、東京五輪世代のチームに、全盛期の本田圭佑が入ってくるぐらいのインパクトがあった。稲本が当時、中田の存在に舌を巻いたのも頷ける。

小野不在の決勝戦、稲本の名はスタメンになかった。小野に代わってピッチに立ったのは、大会初出場で初スタメンとなる氏家英行だった。

トルシエ監督は試合前、「おまえたちはスペインに勝てない」。いつものように、選手の気持ちを駆り立てるような厳しい言葉を投げかけてきた。

だが、チームは苦しい試合を戦い抜き、勝ち上がってきた。そこから得られた自信が、稲本にはあった。

「チームには明らかに勢いがあったし、(選手もチームも)1試合ごとに成長することができた。
普通に『負けへん』という自信があったし、大会の途中からフランス代表が(前年の)フランスW杯で勝ち上がっていく時の歌をみんなで歌ったりして、すごく盛り上がっていた。

そういう雰囲気って、すごく大事やなって思うんです。もちろん、実力も大事やけど、前向きな言葉とか姿勢とかを、選手全員が持っている。
多少の不満はあっても、チームのために全員で考え、全員が動く。この時は、そういうチームになっていた」

5:
しかしスペインは、そうした勢いと自信を持ったチームでも、まったく歯が立たなかった。後半から出場した稲本も、世界との差を強烈に体に刻み込まれた。

「スペインとは、勢いだけじゃあどうにもならない大きな差があった。ゲーム運び、個人のスキル、それまでのチームとは全然違ったね。
俺、結構調子がよくて、がっつりボールを取りにいったけど、まったく取れへんかったからね。
それまで、Jリーグではもちろん、世代別の代表の試合とかでも、そんなことはなかった。ほんまに『スペイン、すごいな』って思った」

スペインには0-4と惨敗を喫したものの、日本はFIFAの公式大会において当時の日本サッカー史上最高の2位という結果を残した。ただ、選手たちの表情はさまざまだった。
全7試合を戦って、その結果に満足している選手、決勝で負けた悔しさを露わにする選手......。

そんななか、稲本はほとんど表情を変えずにピッチに立っていた。

「決勝であれだけボコボコにされたんでね。満足できていない選手のほうが多かったと思う。自分もずっとレギュラーで試合に出ていたら、多少は充実感もあったと思うけど、ほとんど試合に出ていないからね。
まあ、チームにいられて楽しかったけど、ただ『準優勝したチームにおった』という感じ。充実感とかはなかったね」

膝のケガの影響が大きく、稲本のワールドユースは途中出場3試合に終わった。
予選まではチームの主力で、大会前のブルキナファソ遠征ではキャプテンも務めていただけに、思い描いたプレーができず、悔しさは人一倍大きく膨らんでいたことは、容易に察することができる。

それでもスペインのおかげで、稲本は"大きな財産"を得ることができた。

「大会を通して、世界での勝ち方とか学べたけど、個人的にはスペインとやって、世界との差を実感できたことがすごく大きかった。
スペインのレベルはほんまに高くて、この差は『リーガ・エスパニョーラとJリーグの差やな』って思った。そ
して、スペインに追いつくにはどうしたらいいのか、その時に初めて海外を意識したし、『海外に行こう』という気持ちになった」

18:
>>5
>スペインとは、勢いだけじゃあどうにもならない大きな差があった。ゲーム運び、個人のスキル、それまでのチームとは全然違ったね。
>俺、結構調子がよくて、がっつりボールを取りにいったけど、まったく取れへんかったからね

当時既にバルサで試合に出てたシャビエル・エルナンデスのことだな
のちにバルサとスペイン代表の黄金時代の立役者となる

282:
>遠巻きで見ているだけで、話とかようせんかったもん。
マジかよwww

>>18
( ・∀・)つ∩ヘーヘーヘー

339:
>>5
この時は本山も相当凄かったよな

6:
稲川淳二が衝撃を受けたんかとオモタ

44:
>>6
それなら宜保愛子しかいないだろ

168:
>>6
俺は稲垣潤一が衝撃を受けたんかとドラマチックレイン

7:
海外移籍――その時、稲本の脳裏に浮かんだのは、スペインだった。
言葉も知らず、スペインリーグの試合も見たことがなかったが、世界のすごさを目の当たりにして、海外に行くなら「スペインだ」と思ったという。

「ナイジェリア(の大会)のあと、2000年シドニー五輪や2002年日韓共催W杯に出場する目標もあったけど、それ以上を求めるなら、『日本におったらあかん』ってすごく思った。
日本で当たり前のように試合に出て、日本代表に入って......そのサイクルがマンネリになるのが嫌やったし、20歳ぐらいで成長のスピードが落ちるのが嫌だった。
だから、スペインをはじめ、より高いレベルの海外に行けるなら、そこでチャレンジしたいと思ったね」

その後、稲本はナイジェリアの地で芽生えた"志"を抱き続け、日本代表の中心選手になって活躍していく。
そして、ワールドユースから2年後、プレミアリーグの強豪アーセナルへの移籍を実現することになる。

(つづく)

稲本潤一いなもと・じゅんいち/1979年9月18日生まれ。大阪府出身。SC相模原所属のMF。
ガンバ大阪ユース→ガンバ大阪→アーセナル(イングランド)→フラム(イングランド)→ウェスト・ブロミッジ・アルビオン(イングランド)→
カーディフ・シティ(イングランド)→ウェスト・ブロミッジ・アルビオン(イングランド)→ガラタサライ(トルコ)→
アイントラハト・フランクフルト(ドイツ)→スタッド・レンヌ(フランス)→川崎フロンターレ→北海道コンサドーレ札幌

9:
何回同じ話するんだこいつらは

342:
>>9
この世代の話を聞いて回ってる乞食ジャーナリストがいる
今年に入ってずっとこれで食ってる感じのやつが
今回ひとりでインタビュー答えてるけど、
ちょっと前に座談会形式でも何人かとやってたりする

10:
小野は中田とは全然タイプが違ったけど
中田と比べるとフィジカル弱かったよなあ
良い流れで味方が攻め上がっててもすぐ倒されて

17:
>>10
小野はフィジカル強かったよ
嘘は良くない

29:
>>10
ちゃんと見てないでしょ
中田には負けるけど、小野はガタイもいいし当たり負けはしないタイプだった
怪我してからはプレイスタイル変わったけど

139:
>>10
チーム全体的にパススピードが6割増だったら違ったかもな

11:
前園さんは?

289:
>>11なんであんな全盛期に消えたんだろな?でもまたタレントで人気になっててあれ!?思ったわ

294:
>>289
セビージャへの移籍が破談になって明らかに腐った

310:
>>11
ヴェルディ行ったのが間違い

326:
>>11
ゾノさんは95年のダイナスティカップから96年のアトランタ五輪予選くらいまでが全盛期
調子がいいの時の乾+原口=ゾノさん

333:
>>326
それは持ち上げ過ぎ

13:
アーセナルに行ったのは失敗

15:
>>13
そういうのあるよね
中田もパルマに行ったら合わなくて出番が減ったり
活躍できるかどうかは運も大きいんだなあ

63:
>>15
むしろ中田はペルージャの次にパルマ時代の方が好きなんだが
ローマと勘違いしてない? パルマの時は普通に試合に出てたぞ

70:
>>63
右サイドでな
最初、35億円の移籍金でローマから移籍してきて背番号も10で
中田中心のチームを作ったんだが
肝心の中田の出来が悪く構想は壮大にコケてしまった

91:
>>70
右FW普通に良かったじゃん
好き勝手やってるムトゥ、アドリアーノとバランス取ってる中田のトライアングルが面白かった

407:
>>91
ちゃんと3トップで使われてた時は良かったが
失点が多くなって442になったあとは
右サイドバックに張りつかされて
お前は守備だけやってろってなった

367:
>>15
アドリアーノ、ムトゥだっけ?、中田の前線3人の時がむしろパルマ最後の輝きだっただろ

14:
実際小野って誰からも教えてもらってないんだろ
近所の少年団に入りたかったけど貧乏で入れなくて
その周りでうろちょろしてた時に既に天才だったんだよな

171:
>>14
母子家庭で、困窮してた
との、話しは県内でも有名だったな
とにかくボール扱いは上手かった
フリースタイルフットボーラーが
11人制サッカーに、上手く適合できた感
足元で受けるのが仇になって
膝を壊されたけど
さもありなん、だったよ

16:
本山の方が天才だった

253:
>>16
それな。
あの小野がいちもく置いてたのが本山。なんでもできると。
ただ性格が子分体質だったから過小評価されてる。
2002、2006年も三都主じゃなくて本山だったらなあとおもったわ。
あの天才が一度もワールドカップに出ないで終わったとか信じられないな。

20:
決勝でスペインに負けて坊主にしたよな
ああいうノリ好きだわ

61:
>>20
違う
決勝の前に坊主にしてた

341:
>>61
少しだけトルシエに怒られて突き放された時期が有ったけど坊主にしたのその時かな?
その頃にトルシエに干されたネタでやべっちFCでユニフォームかジャージのズボン脱いでボクサーパンツで疾走してた気がする

21:
シャビお得意のくるくる回るドリブルで交わされてたな稲本

71:
>>21
あれ何なんやろな
どんだけ囲まれても簡単にクルクルターンで剥がせる
シャビが別格過ぎたw

166:
>>71
相手の一列目と二列目の狭いところでボールを受けて
そのプレスを交わして前を向いてプレーができる展開力があるCMF。

これが居ないチームの試合は視ててもつまらない。

211:
>>166
無駄なフェイントは一切ないからな
重心移動だけでプレス無力化
肉弾戦仕掛けて剥がされる相手中盤の狐につままれたような顔がたまんないわw

24:
リアルキャプテン翼やった世代だしなぁ

27:
これだけの天才のキャリアハイがフェイエノールトでUEFAカップ優勝。
バルサでレギュラーぐらいまで行って欲しかったわ。

28:
フィジカル
・中田=◎
・小野=△
・俊輔=☓

テクニック
・中田=△
・小野(怪我前)=◎
・俊輔=◎

60:
>>28
中田は嫌いだけど視野が広かったんだよな。
冷静に相手の嫌なスペース使うパスが旨かった。

小野は嵌まった時には本当に漫画みたいなプレーをしてた。
あれが常に出来て体幹が強く怪我しない人間だったらと

30:
中村俊も最近のテレビインタビューで僕が一緒にプレーした日本人でもっと衝撃受けたのはヒデさんって言ってたな

31:
20歳ぐらいで成長のスピードが遅くなるのが嫌だったって
ガンバに出戻り組の井手口もそんなこと言うてたよーな

32:
結局黄金世代って小野伸二なんだよ
勿論良いメンツは揃ってたけど、それを上のステージへ引き上げたのは小野で、彼の吸引力がなければなし得なかった

47:
>>32
W杯ドイツ大会の時
腐ったミカン小笠原が小野のこと「俺たちのボス」って嫌な言い方してたわ

49:
>>32
求心力?

57:
>>49
ごめんそれw
ダイソンかよ

34:
小野にもう少し自分でドリブル突破する意識あればな…

完全にパスの人になってからは怖さ半減しちゃったもん

35:
>>26-27
五輪予選の怪我があったから仕方ない
あれさえなかったら・・・と今でも思う

37:
膝やってもやらなくてもあんま変わらなかっただろか
それとも変わってたかな

43:
>>37
少なくともオファーは来やすかったとは思う

53:
>>43
それは確かにその通りかも
もったいなかったな、、

321:
>>37
ガラッと変わったと本人が言ってた
ことごとくズレが生じたらしい(感覚、タッチなど) 相当戸惑ったらしいよ

39:
全盛期の本田なんかと比べ物にならないだろ

40:
小野は身体は大きかったな
スピードと運動量がなくすぐ怪我するのがよくなかったが

41:
あんまり話題にならないけど中田と小野って仲悪かったんだろうな。
中田は当初小野にパス出さなかったし小野の方でもドイツの頃には明らかに嫌ってた。
この二人が同じ時期に代表にかぶっちゃったのが何とも。

54:
>>41
ドイツの頃は小野が控えだったから、負のオーラが出ていたよ
控えにするなら連れて行ってはいけない選手

155:
>>41
>>54
>>72
ドイツW杯で

・周りから離れてた中田の話し相手は小野と中田コだけだった

・小野は控え組で率先して負のオーラを出して先発組と溝つくってた


これどっちの記事も読んだことあるけど
どっちが正しいの?

165:
>>155
中田浩二は、なんかヒデさん孤立してたとか言われるけど
俺普通にヒデさんと話してたしw って言ってたな

241:
>>155
あとから言われてるけど中田は孤立みたいな報道されてたが中田がたまたま一人でいるとこカメラに抜かれてるだけでみんな普通に話してたらしい

72:
>>41
ドイツでは中田の練習相手してたのは小野だけどね
中田に一番話しかけてたのも小野と言われてた

81:
>>41
コレだわな
ドイツの惨劇の元凶はコレ

204:
>>41
こういう勘違いしてる奴多いけど、中田と小野は仲良いぞ
日韓W杯の時に小野が病院に行く事があって玄関でのお出迎えしたのは中田だし
宿でのビリヤードも毎日中田とやってたし
中田が引退した後のチャリティーマッチとかでもよく一緒にアップしたり、パス交換したりと
よく喋ってるしめちゃくちゃ仲良いぞ

298:
>>41
未だに小野が腐った蜜柑だったとか言ってる化石みたいな情弱がいるのか

孤立しがちな中田とストレッチやパス練習のペアを組んでたのは小野
中田の居残りシュート練習に最後まで付き合ってたのも小野
小野は控え組でもモチベーションを落とすことなく、アップのランニングでは常に先頭を走り、
紅白戦では控え組の中心として先発組をフルボッコにし、ミニゲーム大会では得点王になった
これだけやって小野が腐ってたと言うのなら一体何をどうすれば良かったの?

ちなみに、バス内でマリカーやってたとか日章旗にサイン書かなかったとかは真っ赤な嘘
宿舎では確かにマリカーやってたけどそれなら中田もマリカー組

それに、チャリティマッチや引退試合の時に中田の相手をしているのは大抵小野だよ
no title

no title

311:
>>41
2006ドイツW杯に関する中田浩二の証言要旨
no title

・小野は性格的にもオーストラリア戦の責任を一番感じていたと思うが、努めて明るく振る舞っていた。自分(中田浩二)もいつもと同じように一緒に居て、いつもと同じように話をした
・中田ヒデは自分から入ってくるタイプじゃないから、ドイツ入りしてからも小野や自分(中田浩二)が中田ヒデに声をかけて一緒にボール廻しをしていた
・中田ヒデがマスコミ伝いに「今のチームは仲が良すぎる」などとチームを批判してそれが新聞記事になった。何か意見があるなら直接言って欲しかった
・記事が出てからも中田ヒデのことを誘ったが拒否されたのでそれ以降は誘わなかった
・中田ヒデを無視していたチームメイトなんていなかった
・あのチームで中田ヒデと一番多く話していたのは小野や自分(中田浩二)らの所謂黄金世代グループだ
・先発組は紅白戦でも上手く行っていなかった

45:
怪我する前の小野はそれこそ
得点能力も高かったからな
ゴール前でも全然慌てないし
FWで大成する小野も見たかった

56:
>>45
多分チンゲパーマのころの小野はサカオタでも知ってる人がもう少ないからね
だからフェイエの頃を知ってたとかそういうレベルでしか語られない

84:
>>56
「若い」サカオタってことね
いわゆる黄金世代と同年代以上のサカオタはまだ大勢いて
いまでも小野への思い入れが強い

77:
今までの日本人で実績的に1番すごかったのは誰?
プレミア優勝した香川か岡崎?
それともワールドカップ3大会連続でゴールとアシストした本田?
それともEL優勝した小野?

93:
>>77
条件が違うのでとにかく比較がめっちゃ難しい

プレミア優勝に関しては岡崎>>香川
岡崎はただのレギュラーじゃなくてキーマンだったからな
あのチームの岡崎の役割、代わりができる選手はなかなかいないし
岡崎の役割がなかったら優勝も難しかっただろう

代表の実績では断トツで本田。いくらアンチが発狂しようが、これは否定しようがない

83:
高原は中田のことを語るのを苦笑いで避けている印象だけど小野や稲本は普通に話せるんだな

85:
シドニーで小野より本山すごいやんけ
って思ったけど
小野のいない決勝見て
やっぱり小野だったーってなったわ

92:
小野はタラレバで語られる選手筆頭
そんだけ勿体なかった
ただあのプレースタイルで今はやれるかは知らん

109:
>>92
これな
小野を語る時はどうしてもタラレバになってしまう
あの時怪我さえしていなければと

127:
>>92
小野だけはタラレバを許してくれ…
あと久保竜

359:
>>92
最強のたられば戦士=財前

374:
>>359
そこは普通に小倉だろw 同級生の一三監督がサンガサポから
名将扱いされてるのにレフティモンスターはどこに消えた?

99:
中田英寿のすごい所はなんといってもフィジカルの強さとボディバランス
稲本とか俊輔とかたいして年違わないのに近寄りがたい雰囲気出してたのが悔やまれるなあ

106:
>>99
中田はユースの頃から変人として有名だったからなあ
海外の食堂でチームメイトが英語の分かる中田に注文頼んだら
「お前たちの為に英語を勉強したんじゃない」と突っぱねてたし
海外移籍のルートが全く無い時に先を見据えていたのかもしれないけど

121:
>>106
そんな尖ってたの?
まあそんな尖ってたからこそ開幕戦ユベントス相手に2発決めることできたんかな
サンドニでもヒデだけ足腰通用してたし
意識高くて結果も伴ってたから自然と近寄れない感じだったのは想像できる

101:
でもマリカーはヒデもやってたんだろ
ドイツ大会のメンツそんなに雰囲気も悪くなかったと聞くが

102:
長友は中堅化したインテルで長くやってたな、て感じだ
継続力は凄い。まあ守備の人で長くって意味では
長谷部の方が凄い気はするが。未だにフランクフルトだし、シャーレ獲ってるし

103:
あの世代のスペイン最強やし

104:
全盛期の本田って凄かったっけw
ローマの時の中田が五輪に入ってくるのはレベルの差がありすぎて凄いってのはわかる

110:
>>104
南アフリカの時は凄かった
ペルージャ~ローマの頃の中田と同じくらいだと思う
色んな若手が出て来たけど、結局あのレベルが日本人の限界なのかなって感じる
あのレベルを超える選手が現れない

107:
岡崎のがキャリアとしては成功だからな。サッカーはそんなもん。

引用元: ・元スレ